Kim Sajik

AMA

〜ウイルスとおよぐ〜

ステートメント

人の身体は、ウイルスに感染すると、その異物を無力化するための抗体を獲得し、微視的な体内の変化が起きていると考えられます。しかし、身体だけがウイルスの侵入によって変化を促されるのでしょうか。

人間に健康被害をもたらすウイルスは、社会では排除する対象として捉えられます。またウイルスが未知で正体不明なものだとすると、恐れから、それへの抵抗の強さは感情が相まった極めて大きなものとなります。

排除の気運に包まれた社会では、ウイルスに感染した人は、「害を与える不吉な存在」だと認識されるため、社会の中にある異物になり、健全な社会と対立する「他者」へと変わります。集団の中から「他者」を作り、排除することは古い時代から現在にいたるまで在り続けます。人がこの社会的「他者」に変わってしまうきっかけは病に罹ることだけではなく、人種、格差、外見など枚挙にいとまがありません。誰もが属した社会から排除される他者になる可能性を孕んでいるのです。

パンデミック以降、この「他者」に対する価値観がこれまでと少し違ったものになってきていると感じています。「他者」を肯定する者、否定する者、共存を模索する者、ウイルスそのものに打ち勝とうとする者、、、これだけの様々な声を聞くようになったのは、ウイルスの存在が身体だけでなく、こころにも大きな変化を与えているからに違いありません。
新聞に気になる一説を見つけました。

「ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかからかながれてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ」

(2020年4月3日、朝日新聞より、生物学者福岡伸一さんの言葉)

人間は高等生物といわれています。人間が地上に現れたときには、そこに「他者」は既に在ったのでしょうか? 社会を構成し生きる人間が、身体的、精神的にウイルスを通じて変化しながら、「自己」と「他者」との関係を、どう捉え直し、受け入れられるのか? 現在の人間に課せられた答えなければならない問いかけのように、私たちは感じているのです。