15から16の1に

長いこと話をしなかった叔母と、父と、遠い遠い過去の話をする。
遡るのは3世代前のお話し。
とても身近にある、遠くて近い、昔話。

さぢの父親は望まれない子であった。
祖母の身体に父が宿った時には、産道をくぐり、この世に生まれてくる前に流産させようと、
祖父は祖母をリアカーに乗せ、がたがたの山道を毎日のように走り回ったらしいが、
残念なことに、見事元気な8番目の子としてこの世に誕生した。
当たり前のことだが、その父親が産まれていなければ、さぢもこの世には存在していない。

祖母は彼女自身の仕事を拒否した女であった。
先祖が代々続けてきた、仕事を、過去も、すべて韓国に置いてきたのである。
彼女はすべてを捨て、新しく日本の地で暮らすことを選んだのだ。

彼女は毎日のように滝の水に身体を打ち続けていた。
冷たくて痛い、滝の水に当たり、自身の五感を必要以上に物理的に刺激しておかないと、
彼方からやってくる別の意識や魂に、意識と身体を奪われるからであった。
捨ててきた仕事を、「捨てさせてくれない何か」に、立ち向かうためであった。

祖母は真夜中の月の光ひとつ届かない険しい山道を毎日歩き続け、滝に通いつめていたという。

その様子を見て、さぢの叔母は少女の頃、祖母に尋ねた。
夜の山で狼、鹿や狐たちが怖くないのか、と。
そのとき、祖母は決まってこう言っていたという。
「暗闇も、獣も、山も怖くなんかない。ほんとうに怖いのは人間の方なんだ」と。

運命という言葉は、御都合主義の言葉だと幼い頃はずっと思っていたが、
もしかしたら、そんなことばかりではないのかもしれない、と
その親たちからの昔話を聞いて、大人になった今になって、やっと心底、思えたのだった。

最近出会った祈祷師も、はるか彼方からやって来る言葉を、今を生きているわたしたちに伝える仕事をしている。
彼女は「こんな仕事なんて、しないほうがいい、」と言った。
彼女の言ったことはよくわからない。しかし、むくむくと知りたいとういう欲が出てくるのだ。
さぢの近い人たちの昔話をもっともっと聞きたい、とただ望んでいるだけなのだ。

過去と現在が繋がるということは、
自分が確実に今を生きられているという奇跡を確信する瞬間であり、
点と点が繋がる時の線が見えると、自分が次に引くべき線が何であるのかが、ほんの少しだけだが、理解できるということでもある。

自分が引くための線を知りたいから、もっと過去と今とをつなぐための何かを知りたいと願う。
今はその欲だけで、自分が、突き動かされているように感じるのだ。