個展を終えて 6/24

150624

今回の物語シリーズ、の作品は、自分のご先祖様があってのなかで、産まれてきた作品です。
どんなひとにも、ご先祖様というのは在るものです。
あまりこんな言葉を使うのは好きではありませんが、韓国という国のひとは、過去に悲劇がありました。
そのひとたちがさぢのご先祖様たちです。

その悲劇(同胞のなか、または一つの見方からでは、そのように呼ばれます)があったからこそ、
さぢには具体的な故郷(場所、記憶、文化、歴史、などなど)と呼べるものがなくなってしまったのだと思います。
故郷というものが無いというのは何かしらさみしい想いをするものだと思います。
今になってみれば、自身のアイデンティティのうちの一つの示しでしかないかもしれませんが、
自分のことをたくさん知りたいと願う年の頃には、故郷が分からないというのは、
それはそれはとても寂しいものでした。
さぢは小さい頃から、そんな寂しい想いを、空想や妄想のお話の世界を創造することで、
うまくまぎらわしていたのかもしれません。

その頃に
・創造は「さみしい」を「たのしい」に変えてくれる。
・「たのしい」はみんなで共有できるから「さみしい」がみんなから無くなる、
ということを、自分の体験から感じていました。

これはとてもとても単純な公式かもしれませんが、実は今もまだ、信じていたりします。
さぢの作った物語を見て、楽しんでもらえる人がいたのなら、それはさぢにとって、とても幸せなことだと思います。

会期中、ギャラリーのガラス戸の外を見たときにデモの行進を見ました。
個展最終日は京都では戦争法案の大きなデモをしていて、たくさんのひとたちが集まっていました。
戦争というのは、「さみしい」と想う子どもたちが(大人もですが)必ず産まれるものです。
そんな「さみしい」と感じていたさぢの体験があったからこそ、
「物語シリーズ」の作品は産まれてはいますが、
こんなデモの景色をまさか、自身の作品の前で、ギャラリーで、見ることになるとは、考えてもいませんでした。

「さみしい」という気持ちは当たり前に、最初からこの世界には無いほうがいい。

「さみしい」が現在にも、未来にも、無くなってほしいなと願います。
もしも、自分の創造したもので、少しでもひとが「たのしい」になってもらえたら、さぢは幸せになります。
もともと、さぢは「さみしい」から変わりたくて、創造することをはじめました。

自分自身の、また、まわりの未来がどうなるかはまだまだわかりません。

ただ、創造することが、何かを変えるチカラがあるのだということを信じています。
さぢはもともと自分が変わるための何かを信じて、モノを創っています。
そのひとつの形が、さぢの創る「物語」であるのです。


「創造」という何かを変えるチカラが、みなさんのところにも在ることを、そっと祈ります。